瓊中黎族苗族自治県黎母山鎮 

       

黎母山 



父の殺害現場に立つ楊定永さん(前) ふたりがいちどに銃殺されたという

楊定永さん(1931年生)
 「日本軍に、父を殺された。殺されるところを見た。3人がいっしょに殺された。
 日本軍は、父ともう一人の男の人を並ばせて一度に射った。もう一人の女性はその近くで殺された。
 日本軍が入ってくる前に、飛行機が、村を爆撃した。
 日本軍に村人がおおぜい連れて行かれるのを見た。あの人たちがどうなったか知らない。
 村のなかに住んでいたが、日本軍が強制的に働かせようとしたので、家族みんなで山に逃げた。
 しばらくして腹が減って、煮炊きをしたのだが、その煙が日本軍に見つかって、父が捉まって殺された。日本を恨む。
 この炮楼は、日本軍がここの村人たちに作らせた。お金はくれなかった。1日、一個のめしだけ。わたしも働かされた。
 日本兵に両頬を殴られたことがある。仕事をしていて、失敗すると、殴られた」。
   

榕木

 
父の殺害現場に立つ楊定永さん(前) ふたりがいちどに銃殺されたという

許明添さん(1926年生)
 「日本軍は道路を作らせた。村人に、いろんな労働を強制した。
 わたしは当時12歳ころだったが、道路工事をやらされた。
 日本軍は、年寄りも、女の人も、子どもも、むりやり働かせた。
 万人坑がある。共産党員ではないのに、共産党員だといって、殺した。
 遺骨はまだそのまま残っている。ここは殺されたところだから、家を作ったり、何かを植えたりはしない」。
 
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